十五年目の告白/カクテルは思い出の味
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 喧騒から乖離かいりして存在する、あるバーの中。浅葱色のコートを着た男が、一人で酒に興じていた。
「マスター、もう一杯酒を……」
 男の表情はあまり優れていない。
「お客さん、どうしたんですか? そんな心気臭い顔して」
 ふいにマスターが尋ねた。
 それに男が「あ、いや……いろいろあって逃げちゃったんです」と応える。
「それにあいつには、ほんと迷惑ばっかかけてて」
「ほう、あいつとは?」
「ああ……幼なじみみたいなものです。もう、出会ってからどれぐらいだろう……十五年経ったかな」
「なるほど、十五年ですか。さてはその幼なじみ、女性かな?」
「え、何で?」
 ふっ、とマスターが笑みを零す。するとカウンターの下から、一本のカクテルを取り出した。
 淡い、琥珀色のカクテルだ。
「これ、は……?」
 カウンター越しに覗くマスターの皺深い笑みに、男は困惑の表情でく。
「ふふ、これは15年目の告白≠ニいう名のカクテルなんだ」
「へえ」
「それで、このカクテルにはいろいろと逸話があってね……」
 そう言うとマスターはカクテルに纏わる話をし始め。男はその話を、何かに取り憑かれるかのように熱心に聴いた。
 悲恋の話、転落の末路を辿った男の話、幸せな話、恋にその一生を捧げた女の話。様々なものであった。
「……これで、私が知っている話は終わり。付き合わせて、悪いね」
「いえ、とてもよかったです。ありがとうございました。……転落の男の話なんか、まさに今の自分そっくりで……」
 自嘲ぎみにそう言った男に、マスターが目を鋭くして返す。
「夢をひたすらに追いかけ、そして女にも棄てられてしまう男とですか?」
 短い沈黙が流れる。男は視線を下に逸らし、グラスに湛えられた琥珀色の液体を眺めた。
 グラスから水滴の汗がゆっくり曲線をなぞらえてテーブルに落ちる。どこか物憂げで、哀愁があるようで、そして男は、一気にそのカクテルを口に含んだ。
「ん――っ!」
 その淡い色からは想像も出来ないほどの喉を焼く炎のような熱さに、男は咽ぶ。
 しかしマスターはそれを見てにやりと微笑み、「わたしと違って、あなたには大事な人がいるはずです……」と呟いた。
 男はその声を聞き取れず、顔を上げて言葉を返そうとした。その時、バーの扉が開かれ光が差し込む。ふいに男はその光に視線を傾け、目を見開いた。
「いた! コウ、こんなとこにいたのね!」
 女の声がバーに響く。
「なっ、アイ、何でここに……」
「ばっかじゃないのっ!! そんな、あの程度の失敗で逃げるなんて! 見損なったわよ!」
「……あの程度だと? ふざけるな! アイは俺の何が――」
 言いかけて、男は口を噤む。女の顔は光が作った影でくらくなっていたが、瞳から一筋の涙を落として――泣いていた。
「……ばか。あ、あたしが……どんなに心配して、心配で」
「ご、ごめんアイ。俺そんな……泣い、」
「帰ろ」
 男が何かを口にする前に、女は男の左袖を掴んで言葉を制する。
「帰ろう、ね」
「うあ……、うん」
 そう言われるまま、手を引かれて歩き出す。男は一瞬マスターの方に振り返る。そして彼が小さく笑っているのを見て、涙を流した。
 喧騒に戻って行く彼らを見送り、バーの扉はゆっくり閉る。
「……このカクテルは、二つで一つ」
 そう呟き、カウンターの下からもう一本、深く濃い、真紅色のカクテルを取り出す。
「もう、十五年か」
 紅いカクテルをマスターは物憂げに眺め、それにゆっくりと口をつける。淡く、優しい味だった。空になったグラスを見つめ、細く笑って言葉を零す。また一つ、新しい話が出来たな、と。



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