夏と花火と恋人と、[前編]

 
 
幼児が遊ぶような小さな公園の入り口に、
浴衣を着た男が一人──


夏と花火と恋人と、[前編]


今日は、槇が住む町で大きな夏祭りが開かれる日だ。

夏祭りといえば恋人とのデート。

しかし槇の恋人は同じ学校の教師。

立場上一緒に夏祭りへ行くのは無理だろうと思いながらも一緒に夏祭りへ行きたいと思う気持ちには勝てず、愛しの恋人である伊吹を誘ったところ案外あっさりと了承され今に至る。

伊吹曰く、「偶然会ったって言えば全然おかしくない…はず」だそうだ。

(センセーまだかなー…)

待ち合わせの時間よりも30分近く着いているのだから、まだ来るわけが無いと分かってはいる、分かっているのだけれど、槇にとっては初めてのデート。

休日と言えど見つかったらと思えば外で会う等考えられなかった関係において祭りは誰に会うか分からない、だから一緒に居ても構わないのだという最大の免罪符だった。

「は……っ槇、くん…!!」

槇がぼんやり物思いに耽っていると背後から声が掛けられた。
慌てたような、息を切らした声は、聞き慣れたもので。

「ごめ、…っ、待たせて…」

「や、伊吹センセーが遅れた訳じゃなくて俺が早く来すぎただけだから」

肩で息をしながら申し訳なさそうに謝る伊吹に苦笑いし背中をさすってやりながら告げると、伊吹はありがとうと礼を言う。

槇は口元を軽く弛める仕草で答え、伊吹の息が整うまで背中をさすり続けてやった。

「ん…ありがとう…えと、槇くん、浴衣…似合って…ます」

呼吸が整ったのか一度大きく深呼吸したのを見計らい槇は手を離した。
また一つ礼を言った後槇が纏う浴衣を見て照れくさそうに伊吹は告げる。

「なにセンセー、惚れ直した?」

羞恥心が強い為か滅多に聞けない伊吹の心情吐露に内心悶えながら軽口で返す。

槇が着ている浴衣は黒に近い藍色の生地で裾に近い所に掛け色が淡くなっている色合いが綺麗なものだった。

「ぅ……ん、そうです、ね」

「……………へ?」

カッコイイですよ、と微笑みながら告げる伊吹に面食らいながらもセンセーだって似合ってるよ、と慌てて返し微笑む。

実際伊吹が着ている裾にトンボの和柄があしらってある紺色の浴衣は、(槇からすれば脱がしたいという欲は刺激されるものではあったが)とても伊吹に似合っていた。

「あ…本当ですか?気に入って貰えたなら、良かった」

はにかむように笑みを浮かべる伊吹に軽く見とれていると背後から、声からして若いだろう男女が近付いて来るのに気付いた。

恐らく祭りをしている辺りへの近道に突っ切ろうとしているのだろう。
槇も、この公園を突っ切れば早いと知ってここを待ち合わせ場所に指定したのだ。

「センセ、そろそろ行こっか」

「そうですね…そろそろ」

入り口に立っている為、出口から公園内に入り込んだ彼らを避けなければならない。
近付いて来ているカップルをきっかけにするように槇が言うと、伊吹が賛成する。

きゃいきゃいとはしゃぐ女性の声とそれに答える優しげな男性の声を背中に感じながら、二人は公園から離れた。


「うわー…これは、ほんとに人だらけですね………」

様々な屋台が随分と遠くまで並んでいる。
それを物珍しげに眺めながら呟く伊吹。

「そりゃあ…ちっちゃいお祭りなんだろうけど、ここの人にとってはどうしてもはしゃいじゃう日なんだろうしねぇ……」

食べ物の屋台が数多く並ぶせいで辺り一帯は香ばしいような香りに包まれている。

ざわざわと賑わう人並みを眺めながら隣に愛しい人が居る幸せを噛みしめていると、不意に後方からドンっと突き飛ばされた。

「っ……………!?」

「あ……っ槇くん……!」

突然の事に着いて行かない頭で衝撃が来た方を見やれば何故か学校でも交流のある数人の悪友達が伊吹にわらわらと寄っていた。

「せんせー何してんの?」

「浴衣可愛いー、俺と回ろ?あそこの屋台が…」

「伊吹ちゃん最後に花火上がるの知ってる?一緒に見よーよ」

三者三様、口々に違う事を喋りまくる友人達を怒鳴りつけたい気持ちに駆られながらも取り敢えず立ち上がる。

そして困り果ててきょろきょろと視線を彷徨わせる伊吹の手を引き、槇は三人の前にずいっと顔を突き出した。

「お前らな、伊吹センセーは俺のなの、今日も一緒に来たの、だから一緒に回るのは俺、一緒に花火見るのも俺、伊吹ちゃんって言った奴は取り敢えず死んどけ」

どうだと言わんばかりに一息で言うと、慌てたように背後から名前を呼ぶ声が聞こえた。

槇が振り向けば、赤くなった顔を隠すように槇の背中へ額をつける伊吹の姿。
耳まで真っ赤になっているのだから顔を隠す意味があったのか甚だ疑問ではあるが…槇に与えたダメージは絶大だった。

(ほんとに俺より年上かよこれ、何だこの可愛さ…っ押し倒してぇええぇ…ッ!!!)

どくどくと鼓動が早くなる。
今にも涎を垂らしそうな顔で伊吹に見入っていると、後頭部の方向から三つの不愉快な声が聞こえた。

「あーぁ、いっいのかなーぁ、俺口滑っちゃうかも……」

「そうだよなー、槇が伊吹ちゃんと仲良く夏祭りデェトしてたーなんて…」

「しかも伊吹センセーは俺のなんて爆弾発言付きの上センセーは満更でもなさそうだしぃ?」

ちらちらと槇を見ながらこれ見よがしに言われる言葉にぴくりと固まってしまう。
背中に当たる伊吹の体がぴくりと震えたのが槇にはハッキリと伝わった。


バレる事はマズい。
教師と生徒、ましてや男同士だ等ということになれば好奇の対象になるだろうし、確実に問題になる。

彼らは軽い気持ちで言っているのだろうが、槇と伊吹にしてみれば離れなければならなくなるかもしれない大問題だ。

槇は大きくため息を吐き、脱力するように体の力を抜いた。

「……わかったよ、全員で回ればいいんだろ」

伊吹を三人に任せる訳にはいかない。
そんなもの、狼の巣に羊を放り込むようなものだ。

槇の最大の譲歩は、自分を入れた全員で回る事だった。
三人は独り占めしたいとごねたがそこは何とか槇が説き伏せる。

二人きりでのデートだと舞い上がっていた気持ちは、いとも簡単に打ち崩された。


「ねー伊吹センセ、これ美味しいよ、あーん…」

「伊吹センセーこっち、金魚すくいしたくない?」

「伊吹ちゃん伊吹ちゃん、これあげる、綿あめ!!」

「あ、は…はい、ありがとうございます……………」

にこにこと僅かにひきつったような笑みを浮かべながら三人のなすがままになっている伊吹を苦々しい気持ちで見つめる。

両手にかき氷やら綿あめやらを持たされている伊吹を見て流石に助けてやらねばと手を伸ばしかけた所で、大きな音と共に辺りが淡い赤色に包まれた。

その場に居合わせた人間のほぼ全員が一斉に空を見上げる。

真っ暗な空には、大きな音を伴いながら綺麗な花が咲いていた。

「……きれー…」

綺麗、というよりは平仮名で表現した方が良いような口調で伊吹が呟いた。
今まで伊吹を囲っていた三人も食い入るように空を眺めているのを見て、我に返った槇は伊吹の手を掴み走り出した。

「早く、こっち…!」

「っえ………!?」

人波を掻き分け、若干迷惑そうな表情をされながらも屋台で賑わう通りを抜ける。

友人達が追って来ない事を確認した後伊吹の手を離し立ち止まると、軽く謝りながら荷物を半分持ってやる。

伊吹の手から荷物を移し終えた後、槇はまた伊吹の手をとった。
先程とは違い掴む、というよりは恋人達のするような手のつなぎ方で伊吹を何処かへ案内しようとする。

頭にハテナマークを浮かべる伊吹を引き連れ、槇は早足で歩き続けた。


「ほら、着いた……此処」

「う、わ…ぁ、凄いですね…」

着いた場所は高台にある神社。
先程まで居た場所に比べて空が近くに見える為、花火がより綺麗に見えた。

「気に入った?伊吹センセ」

「はい、綺麗ですねー…」

賽銭箱の前にある石段に座り優しげな声音で槇が問えば、どこか上の空気味に聞こえる返答。

不思議に思い伊吹に目を向けると槇からの視線には気付かないまま目を細めて花火を見つめる伊吹の姿があった。

「……センセ」

長い間花火を見つめる伊吹を見つめていると、段々槇の中にもやもやとしたものが立ち込めて来た。

確かに綺麗な花火を見せたいとここに連れてきたのは槇だが、ここまで伊吹が釘付けになるとは思っていなかったのだ。

「はい……?」

名前を呼べばにこりと微笑みながら自分を見る伊吹。
あまりに可愛らしく見えるそれに槇が見入っていると、ことんと軽く首を傾げながら槇の顔を覗き込んでくる。

子供っぽく見える仕草に小さく笑いを零しながら、槇は伊吹に口づけた。

「…ずっと一緒にいようね」

不意打ちのキスにぽかんとする伊吹へと甘ったるい声で槇が囁けば、伊吹は嬉しそうにぎゅっと槇へ抱きついた。

伊吹を抱きしめる自分の背後で、花火が上がる音がする。

願わくば、自分達の恋は末永く続きますように。

花火のように儚く消えてしまわぬようにと思いながら、槇は伊吹を抱く腕に力を込めた。


→END.
*08,08,01 兎絵


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